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恩田陸「蜜蜂と遠雷」タイトルの真意とは

読み終えてタイトルの真意がわかる!

久しぶりに小説の愉楽に全身を覆われました。

クラシックが分からない方でも、ぜひ作中の楽曲を聴きながら読んでみていただきたいです。

私は読み終えた今でも毎晩聴いて作品の余韻に浸っています、、
クラシックに入り浸るのは「のだめカンタービレ」以来です。


さて、タイトルにも書いた通り「蜜蜂と遠雷」、タイトルの真に意味するものとは何なのか?

「蜜蜂」については物語の冒頭、すぐにイメージが湧くかと思います。
しかしながら「遠雷」についてはなかなか解釈が難しく、腑に落ちないまま読み進めていました。
そして読み終えた後、
なるほど、ホフマン先生、、なるほどね、、となるわけです。


皆さんに、カザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。恐らくは、天から我々の。だが、勘違いしてはいけない。試されているのは彼ではなく、私であり、審査員の皆さんなのだ。


これは表紙を開いた箇所にも書かれている物語の鍵となる文章ですが、同時に、恩田陸先生からこの作品に出会う全ての人たちへのメッセージだとも感じました。

蜜蜂と遠雷,タイトルの真意




以下、私なりの考察を一言、、

「蜜蜂と遠雷」の真意とは、「塵とホフマン先生の教え」だと思います。
養蜂家の塵と、遠い別世界からでも音楽の世界の常識を切り裂くような衝撃を与えるホフマン先生の教え、ギフト。
紛れもなく、この作品に出会った方は彼らからのギフトを受け取ることとなるでしょう。

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